ロクスノに載っていたグレード問題の記事を読んでいろいろ思うところがあった。発端は、室井氏初登の小川山の「闇の絵巻」(5段)を小山田氏が再登したところ、2,3段しかないと感じたので、適正なグレードの付け方について問題提起したということらしい。闇の絵巻自体についてはグレードが適正なのかどうか、登っていないので分からない。
ただ、4段より難しいと思ったから5段とつけたというのは、段級グレードの上限を押し広げる立場にあった室井氏としては当然だっただろうが、5段がv15だというのなら、その根拠を説明できないとまずいだろう。もっと低いグレードだったら多少の違いは問題視されないだろうが、v15はいまでも、世界で有数の難課題ということになるのだから。評価が定まったv14を登っている人でないとv15を付けても信用されないのが普通だ。信用されるかどうかの話を別にしても、他人の課題をやっていないと自分自身も分からないと思う。
しかし、全体としてみると、私は室井氏の考えに共感できる部分も多かった。彼は自分をアピールするためにクライミングしているわけではないと言っている。自分の登ったルートの困難さを立証したいと思う人は他人のルートを登ったハードプロブレムを登らないといけないだろうが、ただ、好きでやっているという人は必ずしもそうする必要はないだろう。高難度課題をやる人は、他人の課題を登ることが義務だというような意見もあるが、それはちょっと押し付けがましい感じがしてしまう。
ただ、グレードの定まった他人の課題を登っていない人は世間の納得するグレードを付けるのが難しいというのは先に書いたとおりなので、じゃあ、仮に初登してもグレードを付けずにおくしかないか、という感じになる。クリス・シャーマなどはそんな感じで、自分ではグレーディングせず、再登した周りの連中が付けているようである。シャーマは独自の思想があってグレードを付けないようだが、グレードに自信がない人もとりあえず付けないというのがありかもしれない。ただ、そういう人ばかりになると目安が無くなって困るようなきがする。予防的に、とりあえず辛めに付けておけば後でグレードダウンされずにすむという考えもあるだろうが、そういう考えが広がるとやたらとグレードが辛すぎのエリアができてしまい、他の地域から来たクライマーがいわゆる「サンドバッグ」状態になってしまったりする。経験から言っても初登時のグレーディングは本当に難しいが、過去に登った類似グレードのルートの難しさとの比較や、自分の得意系かどうかの考察などで自分の信じるグレードを付けるしかないということだろう。そして、その後登った人の感じ方があまりにも違えば修正すればいい。
グレードというもの自体についてだが、個人的には、グレードはそうとういいかげんな目安に過ぎないと思う。自分一人で考えるとこのルートよりあのルートは若干難しいとかやさしいとか、序列を付けられるが、他人と同じ共有するグレードを付けようとすると話が違ってくる。特に体格が違うと全然感じが変わってしまうことが多い。いろんなルートについて自分の感じ方と、女性の感じ方を比べてみるとワングレード以上(11aと12aとか)違うことはよくある。グレードは、多数派のクライマーの感じ方を反映して付けられており、日本だったら、身長170㌢ぐらいの男性の感じ方で付けられているケースが多いだろう。だから少数派の人たちは常に違和感を感じている(だろう)と思う。以前のロクスノのインタビューで小柄な女性クライマーが、「美しき流れ」(13c)より、「おいしいよー」(12c)のほうが難しいという趣旨のことを言っていたが別に彼女のグレード感覚がおかしいとか間違っているわけではなく、身体的条件が違えば当然そのぐらいの感じ方の違いはでてくるということだ。彼女からみると、世の中のルートのグレードはほとんどおかしいと感じられるが、少数派だからそれを主張できないだけかもしれない。もし将来的に、女性クライマーが増えて男性を上回るような多数派になったとしたら、世の中のルートのかなりの部分のグレードが変更されてしまうだろう。
時代によってもグレードの感じ方は変わる。トップクライマーの多くが小川山の傾斜の緩いルート中心に登っていたころ、城ケ崎の丸っこいホールドの、オーバーハングしたルートは難しく感じられた。しかし、最近はジムでハングした壁のまるっこいホールドを使うのに慣れている人が多いので、城ケ崎のほうが登りやすく感じる人が多いのではないか。
また、私自身のことを考えても、日によって、あるいは時間帯によって(夕方のほうが調子がよい)、ものすごく難しさの感じ方が違う。また、岩場による得意、不得意も大きいし、石灰岩と花こう岩、スラブとハングなどでは同列に比べにくい。室井氏が「グレードがよく分からないので、段級グレードでも幅が細かすぎる」との趣旨の発言をしていた気持ちはよく分かる。今回の記事では段級グレードは大ざっぱすぎるし、vグレードなどと一対一に対応しないので、例えば初段は初段と初段+に細分化するべきだという主張があったが、私は現状程度の大ざっぱさでかまわないと思う。いくらグレードを細かくしても、個人差などを考えると、たいして厳密につけることはできないからだ。むしろ大ざっぱさに段級グレードの存在意義があるのではないか。国際基準と合わせたければ、段級でなく始めからvグレードかフレンチグレードを付けたらいい。
それと、外国のグレードと一対一に対応しないのはそれぞれの国で独自の発達をしているグレードシステムなのだから当たり前で、段級グレードがおかしいということにはならない。例えばドイツのルートグレードで10マイナスは、フレンチグレードの8aと8a+の両方を含んでいるがそういうことは当然起こりうることだ。段級でグレーディングされたボルダーを、海外に紹介する場合などは例えば4段(v12―v13)とするか、4段でも易しめとされている場合は4段(v12)とするとかいろいろやりようはある。
ただ、4段より難しいと思ったから5段とつけたというのは、段級グレードの上限を押し広げる立場にあった室井氏としては当然だっただろうが、5段がv15だというのなら、その根拠を説明できないとまずいだろう。もっと低いグレードだったら多少の違いは問題視されないだろうが、v15はいまでも、世界で有数の難課題ということになるのだから。評価が定まったv14を登っている人でないとv15を付けても信用されないのが普通だ。信用されるかどうかの話を別にしても、他人の課題をやっていないと自分自身も分からないと思う。
しかし、全体としてみると、私は室井氏の考えに共感できる部分も多かった。彼は自分をアピールするためにクライミングしているわけではないと言っている。自分の登ったルートの困難さを立証したいと思う人は他人のルートを登ったハードプロブレムを登らないといけないだろうが、ただ、好きでやっているという人は必ずしもそうする必要はないだろう。高難度課題をやる人は、他人の課題を登ることが義務だというような意見もあるが、それはちょっと押し付けがましい感じがしてしまう。
ただ、グレードの定まった他人の課題を登っていない人は世間の納得するグレードを付けるのが難しいというのは先に書いたとおりなので、じゃあ、仮に初登してもグレードを付けずにおくしかないか、という感じになる。クリス・シャーマなどはそんな感じで、自分ではグレーディングせず、再登した周りの連中が付けているようである。シャーマは独自の思想があってグレードを付けないようだが、グレードに自信がない人もとりあえず付けないというのがありかもしれない。ただ、そういう人ばかりになると目安が無くなって困るようなきがする。予防的に、とりあえず辛めに付けておけば後でグレードダウンされずにすむという考えもあるだろうが、そういう考えが広がるとやたらとグレードが辛すぎのエリアができてしまい、他の地域から来たクライマーがいわゆる「サンドバッグ」状態になってしまったりする。経験から言っても初登時のグレーディングは本当に難しいが、過去に登った類似グレードのルートの難しさとの比較や、自分の得意系かどうかの考察などで自分の信じるグレードを付けるしかないということだろう。そして、その後登った人の感じ方があまりにも違えば修正すればいい。
グレードというもの自体についてだが、個人的には、グレードはそうとういいかげんな目安に過ぎないと思う。自分一人で考えるとこのルートよりあのルートは若干難しいとかやさしいとか、序列を付けられるが、他人と同じ共有するグレードを付けようとすると話が違ってくる。特に体格が違うと全然感じが変わってしまうことが多い。いろんなルートについて自分の感じ方と、女性の感じ方を比べてみるとワングレード以上(11aと12aとか)違うことはよくある。グレードは、多数派のクライマーの感じ方を反映して付けられており、日本だったら、身長170㌢ぐらいの男性の感じ方で付けられているケースが多いだろう。だから少数派の人たちは常に違和感を感じている(だろう)と思う。以前のロクスノのインタビューで小柄な女性クライマーが、「美しき流れ」(13c)より、「おいしいよー」(12c)のほうが難しいという趣旨のことを言っていたが別に彼女のグレード感覚がおかしいとか間違っているわけではなく、身体的条件が違えば当然そのぐらいの感じ方の違いはでてくるということだ。彼女からみると、世の中のルートのグレードはほとんどおかしいと感じられるが、少数派だからそれを主張できないだけかもしれない。もし将来的に、女性クライマーが増えて男性を上回るような多数派になったとしたら、世の中のルートのかなりの部分のグレードが変更されてしまうだろう。
時代によってもグレードの感じ方は変わる。トップクライマーの多くが小川山の傾斜の緩いルート中心に登っていたころ、城ケ崎の丸っこいホールドの、オーバーハングしたルートは難しく感じられた。しかし、最近はジムでハングした壁のまるっこいホールドを使うのに慣れている人が多いので、城ケ崎のほうが登りやすく感じる人が多いのではないか。
また、私自身のことを考えても、日によって、あるいは時間帯によって(夕方のほうが調子がよい)、ものすごく難しさの感じ方が違う。また、岩場による得意、不得意も大きいし、石灰岩と花こう岩、スラブとハングなどでは同列に比べにくい。室井氏が「グレードがよく分からないので、段級グレードでも幅が細かすぎる」との趣旨の発言をしていた気持ちはよく分かる。今回の記事では段級グレードは大ざっぱすぎるし、vグレードなどと一対一に対応しないので、例えば初段は初段と初段+に細分化するべきだという主張があったが、私は現状程度の大ざっぱさでかまわないと思う。いくらグレードを細かくしても、個人差などを考えると、たいして厳密につけることはできないからだ。むしろ大ざっぱさに段級グレードの存在意義があるのではないか。国際基準と合わせたければ、段級でなく始めからvグレードかフレンチグレードを付けたらいい。
それと、外国のグレードと一対一に対応しないのはそれぞれの国で独自の発達をしているグレードシステムなのだから当たり前で、段級グレードがおかしいということにはならない。例えばドイツのルートグレードで10マイナスは、フレンチグレードの8aと8a+の両方を含んでいるがそういうことは当然起こりうることだ。段級でグレーディングされたボルダーを、海外に紹介する場合などは例えば4段(v12―v13)とするか、4段でも易しめとされている場合は4段(v12)とするとかいろいろやりようはある。